
「縛りがあるほうがやりやすい」
「週刊女性」の編集者から、「食に関するエッセイを書いてみませんか?」と提案された時、燃え殻さんは、特段グルメでもない自分が書いても、すぐ行き詰まるのではないかと思ったという。
「これまでにもエッセイの連載を持っていましたが、お題は自由。でも、僕はテレビの美術制作会社で長年下請け仕事をやっていたからか、逆に食という縛りがあるほうがやりやすいことに連載の途中から気づきました。
僕は著名な作家のように帝国ホテルで中華料理を食べた、みたいなことはないけれど、特別じゃない日常の中で食べた食事とか、特別じゃない人に会って一緒に食べたことの方が記憶に残っていました」
本書には、定食屋や町中華、居酒屋などがよく出てくる。行動範囲が限られていて、チェーン展開している飲食店やカフェに行くのがもっぱら。自らネットなどで店を探すこともほぼないという。そんな燃え殻さんの“新規開拓”の方法は、人に連れていってもらうこと。
「食べログやGoogleマップで調べて保存して……ということが全くできないんです。人に連れて行ってもらったお店は忘れないように、2日後くらいにすぐ行き、自分の体に浸透させる。お店の人も『この前来た人?』と認識してくれるので、そこから通うようにして、いつしか自分が知っている店のようにふるまっています。
僕が誰かを連れて行く時には、いかにもよく知っているかのような感じで、紹介してくれた人おすすめの料理と同じものを頼み、『ここはお通しが美味しいんですよ』なんて言ったりしています(笑)」
「食もトリガーになることに気づけた」
燃え殻さんの小説には、音楽や映画がよく登場し、それらが個人的な記憶と深く結びついている。本書ではさまざまな思い出が「食」から想起され、小さな物語を形成している。
「音楽や映画は記憶の再現性が高くて、例えば小沢健二さんの昔のアルバムを聴いていると、この曲は誰かと一緒に聴いたな、ということを思い出したりするんです。だから書くことに困った時、音楽を聴くことが多かったんですけど、食のエッセイを書き始めてから、食もトリガーになることに気づけました。
音楽や映画は自分の中で、さんざん掘り尽くしていたので、初めて食について掘ってみたら、意外といろんなところで記憶がつながっていることに驚きました。例えば、母についてもたくさん書いてきたはずなのに、母が作って一緒に食べたミートソースのことはすっかり忘れていた。ずっと忘れていたのに、実は生々しくて忘れられない思い出だったことに気付かされたり……」
人は日々の仕事や生活に追われ、同じように繰り返される毎日のディテールを忘れてしまいがちだ。しかし、本書のエッセイを読んでいると、何でもない日が、とたんにユーモラスに、魅力的に、ある時は悲しみを帯びて鮮やかに浮かび上がってくる。その描写の解像度の高さは、燃え殻さんが歩んできた過程で養われていったようだ。
「テレビの下請け仕事をしていた時、同じ場所に朝から晩までいて、同じコンビニに行って、同じお客さんに会って……ということを繰り返していたんですよ。でもこれ、『毎日が同じだ』と言ったら負けだと思ったんです。コンビニの店員が今日は機嫌が悪そうだ、買おうと思っていたメロンパンが今日はないとか、微細な違いをとにかくデカくとらえることにしてました。
それに、僕は昔から習い事が長く続かなくて、唯一続けられたのはそろばんだけ。何も続かなくて、何もできない人間だったから、大人になって、工場やテレビの下請けの仕事を長く続けられた自分にほっとしたんです。平凡な毎日を繰り返せること自体が尊くて、さらに昨日と今日のささやかな差異を見つけられたら『やった!』という気になれるんです」
「紙とウェブの架け橋になれたら」
本書のエッセイは「週刊女性」で連載されていたもので、燃え殻さんは現在、「週刊新潮」でも連載を持っている。しかし、雑誌などの紙媒体は年々発行部数が減り、取り巻く環境は厳しいのが現状だ。
「僕はウェブからモノを書き始めた人間だけど、世代的に紙に親しみがあります。ノートパソコンで書いたものも、プリントアウトして読むくらい。紙で読むほうが自分への浸透率がよく、自分のものになった気がするんです。
紙媒体で文章を書く時は、例えば『週刊女性』だったら、病院や銀行の待合や美容室で読むのかな、自分の名前が呼ばれるまで手にとっていただけでも、読んだ人がちょっとでも面白がったり、心に残ってくれたりしたらうれしいな、といったことをいつも想像しています」
インターネットには常に新しい情報が流れているが、紙媒体にはそこに書かれた時点のことが残り続ける。そんな特性にも面白さを感じるという。
「僕、神保町で古い雑誌を買うのが好きなんですよ。20年以上前の雑誌に、『これから流行るのはこれ!』みたいなことが書かれているのを読むのが面白くて。たまに神保町で、僕の本が売られているのを見つけるとうれしくなるんです。紙として残り続け、いつか誰かが読むかもしれないって考えるとロマンチックですよね。そこに僕の本があるということは、誰かが売ってしまったからで、その悲しみもありますけど……」
雑誌はその名の通り、雑多な事柄が数多く載っている。燃え殻さんのことを知らない人が、たまたま「週刊女性」を手にして、燃え殻さんのエッセイを読むことがある。そんな思いがけない出合いは雑誌ならではだが、燃え殻さんは、そこにウェブとの共通点があると感じている。
「紙媒体とウェブは別物と考える人が多いかもしれないけど、ウェブでもSNS上で思いがけない出合いがありますよね。紙媒体で育って、ウェブから書き始めた僕が、二つの架け橋になって面白さを発信できたらと思うことがあります。それぞれが補完しあい、仲良くできるんじゃないかと。
今回のエッセイもこうして紙の本になったことで、普段、ウェブで文章を読んでいる人にも手にとってもらえたらうれしいです。この本は、以前から一緒にお仕事できたらいいなと思っていたブックデザイナーの名久井直子さんが装丁を担当してくれました。僕がいつも装丁で希望するのは、本屋さんでは目にとまるんだけど、家の本棚では違和感がないということ。この本はまさにそうで、違和感がないどころか、家にあることがうれしくなるような装丁に仕上がっています」
本書のカバーはチョコレートの包装紙をイメージしたもの。ざらりとした質感の茶色い紙に、複数のイラストがランダムに配置されている。大きな包装紙が、どこでカットするかによって柄の入り方が微妙に変わるように、本書もイラストの入り方が4パターンある。書店で手にとってみることで、その違いを楽しむことができる。
「失うものなんて何もないですし」
燃え殻さんは、自分が紙媒体とウェブの架け橋になれたらと語ったが、燃え殻さん自身もまた、先達の書き手が架け橋になってくれたからこそ、モノを書くことができるようになったという。
「僕にとっての架け橋は、大槻ケンヂさんや中島らもさんで、『こっちに来いよ』って言ってくれていたような気がするんです。僕が初めて大槻ケンヂさんのエッセイを読んだ時、本当におこがましいんですけど、『大槻ケンヂが書けるんだから僕も書ける』って思ったんです。それから書き始めるのに20年以上かかったし、実際に書くようになって、大槻さんのとんでもない才能を実感するわけですが……」
2017年、44歳の時に『ボクたちはみんな大人になれなかった』でデビューした燃え殻さんは現在52歳。Twitter(現X)で導かれるように言葉を綴り始め、手探りしながら書いた小説やエッセイが高い評価を受け、今ではラジオパーソナリティーになるなど、活躍の場を広げている。
「書くことや人に会うこと、喋ることに、本番を通して少しずつ慣れていった感じがします。ラジオのパーソナリティーをやって3年ぐらいになって、このあいだJ-WAVEの人に、『人前で話すことに少し慣れてきました』って言ったら、『今ですか!』って言われましたけど(笑)。
僕は50代になって、ようやく世の中のいろいろなことに慣れてきたから、この先仕事がなくなったり、何かを失ったりしたらどうしよう、っていう不安があまりないんです。そもそも失うものなんて自分は何もないですから。
年齢的な衰えについても、横尾忠則さんが、手が震えるようになってもそれを新しいタッチに活かしているように、できなくなったらそのことを書けばいい。また、ポジティブなことを言ってもなかなか共感してもらえないけど、ネガティブなことを言うと、人と仲良くなれるし、それでいいんじゃないかと思ってます」
