
「八咫烏(やたがらす)シリーズ」で人気の阿部智里さんが、新たなファンタジー小説「皇后の碧(みどり)」(新潮社)を書いた。精霊たちが生きる世界で、主人公は後宮の謎に迫る。構想を温めてきた壮大な物語が、小説となって世に送り出された。
阿部さんの頭の中には、いくつもの物語が存在している。小学生の頃から、小説家になりたいと思っていた。こんなに面白い話が誰にも見つからないのはもったいない、という感覚がすでにあった。「私の考えた最強の物語をみんな見てくれって感じですね」
とはいえ、物語の世界に入り込むことと、小説にすることの間には大きな壁がある。読者を楽しませるため、想像力と筆力の「追いかけっこ」が始まる。勉強と計算が必要だ。
「想像している物語に筆力が追いついてこない時は悔しい。もっと勉強して、色んな知識があったら、この発想をうまい形にできたのではないかと思う」
物語を作るときには、最初に一枚絵や映画の場面のような「ワンシーン」を思い浮かべる。今作の場合は、一番最後の章の、ある印象的な場面だった。このわずか一瞬が、最も魅力的に見えるよう逆算して、世界観や設定を作り込んだ。
そうしてできあがったのが、風・土・火・水の精霊たちが暮らしている世界だ。主人公のナオミは土の精霊の地の出身で、かつて火竜(ドラゴン)に家族を焼かれた。ナオミは、風の精霊を統べる皇帝から「私の寵姫(ちょうき)の座を狙(ねら)ってみないか?」と突然誘われ、選ばれた理由を探るうちに、後宮が大きな秘密を抱えていることに気付いていく。
自分だからこそ書ける世界観のファンタジーをめざし、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで流行した装飾様式「アール・ヌーボー」を、物語に落とし込んだ。2016年に最初のプロットを出してから完成までに時間を要したのは、アール・ヌーボーへの理解を深めていたからだ。
アール・ヌーボーは、都市化や工業化への反発の中で生まれ、植物や女性がモチーフとして多く用いられた。「女性が主役といいながら、実際は女性を消費しているのでは、という批判もあった。それも踏まえた上で、作品として目をそらさず、私の考えを示す必要があると思い、要素を詰め込んでいった。女性と男性の描き方については相当意識していますが、解釈は読者にお任せします」
私には世界がこう見えているけれども、読み手の皆さんにとってはどうでしょうか――。問いかけの形でテーマを盛り込みたいという思いは、デビューからずっと変わっていない。今作では、「『平和』に対して私が思ったことについて」も、問いかけた。
構想当初から、平和を守るために不断の努力をしなければならない、ということは何度でも言うべきだと考えていた。ところが、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。「現実世界の方が、想定していたよりハードになった。時代性を帯びて、現代的な作品になってしまったのは偶然かなと思う」
気になるのは、今後のシリーズ化だ。「ギミックに重点を置いて書いたので、同じ世界観で同じことをもう1回やるのは無理。読者のみなさんがそれでも読みたいと思えるものを、書けるか次第です」(堀越理菜)=朝日新聞2025年6月4日掲載
