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「帝国と観光」書評 植民地を見る独善的なまなざし

評者: 有田哲文 / 朝⽇新聞掲載:2025年06月07日
帝国と観光 「満洲」ツーリズムの近代 著者:高 媛 出版社:岩波書店 ジャンル:歴史

ISBN: 9784000240703
発売⽇: 2025/03/21
サイズ: 2.5×21cm/336p

「帝国と観光」 [著]高媛

 石橋湛山は戦前、東洋経済新報で「小日本主義」を唱えた。我が国は満州などの権益を手放し、植民地支配ではなく貿易に力を入れるべきだとの主張は、いま読んでも説得力を感じる。しかし当時は少数意見だった。満州への視線は理屈を超えたところにあったのかもしれない。
 日本人の満州観は、どのように形成されたか。観光という切り口でたどるのが本書である。満州に観光? やや違和感をもってページをめくると、率先して始めたのが朝日新聞社だったことを知る。日露戦争の直後に団体旅行を企画し、「戦勝国の民にふさはしかるべき」事業だと、紙面で勇ましく宣伝した。まだ硝煙が消えないような時期で、現地の旅程は陸軍に頼り切りだった。
 やがて満州は、中学高校の人気の修学旅行先になる。一般のツアーも盛んになり、現地では観光バスも走った。そうして育まれたのが、日本の満州支配を当然と見る「まなざし」だ。戦跡を見学し、「日本人の血で購(あがな)われた特別な地」だと確認する。差別的なバスガイドの話を聞きながら住民たちを観察し、支配の正当性を実感する。体験は土産話として、国内に伝わったはずだ。
 著者は北京生まれで、日本に留学し、研究者になった。そのライフワークともいえるのが本書で、陸軍の思惑、南満州鉄道株式会社や旅行会社の営業戦略、満州にできた県人会の役割など、レンズをあちこちに動かしながら全貌(ぜんぼう)に迫る。誰かを声高に非難するわけではなく、淡々とした筆致だが、植民地観光の異様さが伝わってくる。
 正直に言うと、読みながら観光する側の気分になって、少しわくわくもした。著者が狙った効果なのかは分からないが、独善的なまなざしの怖さを実感できた。訪れた修学旅行生の一部には、威張り散らす現地の日本人に疑問を持った人もいたという。しかしそれも多数派の感覚にはならなかった。
    ◇
こう・えん 1972年北京生まれ。駒沢大教授(歴史社会学・観光社会学)。95年に来日。2005年、博士号取得(東京大学)。